冒険の状態
2005年6月27日 しの


冒険とはなんだろうと考えている。

たとえば、アフリカに行ってライオンと戦うことだろうか。

北極点まで犬ぞりで行くことだろうか。

もしそうだとしたら、ほとんどの人は一生冒険をしないままで過ごすことになる。でも、それは違うような気がする。

アフリカとか、ライオンとか、北極点とか、犬ぞりとか、それは、何かの象徴に過ぎないんだと思う。それがすなわち冒険を構成する要素ではないと思う。

家から学校までのなれた道のりを、毎日、車で通っていると、ギアの切り替えや、信号の出し方、クラッチの切り方つなぎ方までルーティーン化されてしまう。無意識のうちに、車を運転しているようになる。精神は日常的に起きるいつもの出来事に馴れきっていて、新しい事態が生じることについて準備をしていない。

でも、初めての道を行くとき、精神はあらゆる可能性に向って開かれていく。そこの角から子供が飛び出してくる可能性、おいしいコーヒー屋を見つける可能性、行き止まりになる可能性。

トレッキングではじめてのルートをたどるときもそうだ。あらゆる可能性が待ち受けていることに対して精神が開かれている。怪我をするかもしれない、道に迷うかもしれない、思いがけないところに湿地が出現しているかもしれない、見たことのない山が見えるかもしれない。

冒険とは、ある種の行動ではなく、こういったあらゆる可能性に備える開かれた状態かもしれない。肉体的にも、精神的にも、知的にも。

あらゆるものが一気に流れ込んできて、それをどんどん消化してゆく。景色、風、会話、バランス、次の一歩。選択している閑なんてない。何もかもが一緒になって、自分と自分の置かれている空間の区別が付かなくなってゆく。そうして、自分がどんどんと開かれていく。

それが冒険なのかもしれない。

昨夜の大冒険の機会を与えてくれた人に、感謝。



くろすけと初めて会った翌日に書いた日記。
あれからもう二年もたったんだな。しみじみ。

写真はくろすけのかつての愛車。